よのなかばかなのよ

  「よのなかばかなのよ」:『世迷い言』 作詞 阿久悠  作曲 中島みゆき

「忠臣蔵」をいまだに「美談」と信じている日本人

 忠臣蔵はどう見ても、暴力団のお礼参り以上のものではありません。
 浅野の行動をいさめた吉良を恨んで、浅野が犯行に及んだ。町のチンピラ同様の男がたまたま藩主だったということです。 切腹は当然。 ところがその仕返しを大石らが企んだ。そして吉良邸を襲って吉良らを殺害した。 逆恨みによる暴力団のお礼参りです。
 そのような事件を江戸の市民がなぜ賞賛し、美談としたのか、私には謎で不思議でしょうがありませんでした。 「江戸の市民は、道とか義の心を失っていたのか?」と。

 その謎を、いくつものの著書がある竹村公太郎氏が『日本史の謎は「地形」で解ける』 ( PHP文庫 )で、解いていました。
 「江戸の要であり警備が江戸で最も厳しい麹町で、なぜ赤穂浪士が潜伏し活動できたのか」という疑問から、竹村公太郎氏は「忠臣蔵」の謎を解明しました。
 竹村公太郎氏の謎解きを簡単に言えば、徳川幕府が松の廊下事件を利用し、徳川家代々の目の上のたんこぶである吉良家を、巧妙につぶしたということです。 徳川幕府は討ち入りまでさまざまなお膳立てをし、討ち入り事件後も赤穂浪士を「英雄」に仕立て上げるためにさまざまな仕掛けを行いました。 江戸の民衆はその策略に乗せられ、「あっぱれな仇討ちだ」と真実を知らずにただ熱狂したのです。 明治維新を仕掛けた悪辣な人たちに比べると、徳川幕府は悪くないと私は思うのですが、民衆は徳川幕府のたくらみにだまされ切ってしまいました。 江戸幕府がすべてを仕組んだのです。

 大石らによる道義に反する逆恨み犯罪を、江戸幕府が企画・脚本・監督・制作のすべてと宣伝・広告までやって、大石内蔵助を主演男優、吉良上野介を助演男優にして一大活劇に仕立て上げたものが「忠臣蔵」なのです。
 それが何と、人々は現代までだまされ続け、もてはやしているのです。このようなことを「よのなかばかなのよ」と言うです。


 日本の社会を破壊したのはコロナではなく、日本の感染症専門家たちです。

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